あの名作『24』の製作陣が手掛けているCIA モノ、しかも今度の主人公は女性。こりゃ見るしかないだろう、と思って見てみたけど、なんつーか、女性主人公ものの難しさを考えさせられてしまった。
まず第一に、主人公のキャリー・マティソンは相当にクレイジーなキャラクターなんである。双極性障害を患う、熱血感あふれる凄腕女性CIA捜査官で、相当強引な手を使って事態を解決しようと奔走する(そして時に悪化させる)。その強引さとか意思決定の素早さ、行動の大胆さは、正直見ている側に「めんどくせー女だな」という感想を抱かせるほどなんである。私も、見ていて辟易してしまった。こんな人が周りにいたら大迷惑だわ〜、みたいな。
でもね。よく考えてみると、24のジャック・バウアーも同じキャラなわけですよ。で、彼の場合は「すごい!かっこいい!強い!プロフェッショナル!」という印象だったよね?同じキャラが、女性になった途端に、与える印象のこの差はいったいなんなんでしょうか。
思うに、キャリーは、ブロンド美人にもかかわらずいわゆる「女らしさ」のようなものが一切ない。フェロモンとか媚びとかかわいげとか、そーいうの全部ゼロ設定。スパイ活動において、要所要所でsexを利用したりもするんだけど、そこに隠微さはまったくなくて、私がやりたいからやるのよ、私も楽しんじゃうわよ、的な。ファッションにも気を使わず、演技における表情のゆがみも甚だしい。美しく見せようとしていないことがよくわかる。
そういう、「かわいげのない」女性が、強引に大胆に周囲と軋轢を生みながら問題にアプローチしていく時、おそらく我々は(いや少なくとも私は)、「めんどくさい人」「鼻につく存在」と思うのだ。男性が同じ状況で同じことをやれば、頼り甲斐がある、強い、かっこいい、と思われることが、女性の場合には敬遠されてしまう。普段フェミニスト的なことを言っている私でもそういう印象をいだくというのは、割と面白い発見だった。男性社会で女性が活躍することの難しさを示唆している、なんてしち面倒臭い野暮なことは言いたくないけれど、まあそういうことなんだろう。
そしてもう一つの発見は、女性主人公の場合、どうしても、恋愛要素が必要らしいということ。どうも、製作陣は日本の少女漫画またはハーレクインあたりを相当読み込んでいるのではあるまいか。テロと戦うキャリーの周囲には各国のイケメンがこれでもか、と勢揃いし、皆キャリーにほのかな好意を寄せる。それはテロリストだったり大金持ちだったり仲間のスパイだったり他国のスパイだったり、もう様々なんだけれども、皆キャリーの強さ、クレイジーさを愛して焦がれるようになる。それらのイケメンたちを、媚びも可愛げもないキャリーがどうさばき、誰と結ばれるのかという恋愛模様が、テロとの戦いと並行し、時に凌駕する、本作の見所のひとつなわけです。
『24』みたいに、もっとテロやら事件やらの方に力を入れて純粋にスリルを楽しませてくれればいいと思うのに、どうしてもキャリーの恋愛模様に焦点があたってしまうのはなぜなのか。それはやっぱり、若い女性が主人公だから、という以外に答えが見つからない。視聴者がそれを期待するからそうなるのか、それとも製作者が視聴者を(おそらくは女性視聴者を)獲得するためにそうしているのか、卵が先か鶏が先か、それはよくわからないけれど、若い男性が主人公の場合に恋愛要素は中心になりづらい(=他の主要テーマにフォーカスできる)のに対して、若い女性主人公の場合は何がテーマの物語でも、恋愛要素は不可欠なんだと思う。
まあそうはいっても、そういう少女漫画的な展開が楽しくて見続けている面が私にもあり、一押しはなんといってもピーター・クインであって、あれほどのイケメンは久々の発掘である。ウォーキング・デッドのノーマン・リーダスに次いで、外見も中身も女性がほれぼれしてしまうキャラクター造形といえよう。美しい顔立ちはもちろんのこと、強いのにマッチョすぎず、適度にダークサイドに落ちていつつもまっとうな正義感を持ち、めっちゃキャリーに惚れてるっていう。キャリーになりたいっつーの。演技もこれがなかなかうまく、イギリス人俳優と聞いて、ゲーム・オブ・スローンズのジョン・スノウ役も、正直こっちの方がよかったのではないか、と思ってしまうほど。
まあ、そういうわけで、24女性版というよりも少女漫画的に楽しむのが吉、な作品かと。名作にはなり得ないけれど、問題提起はしているような気がするのです。